1998年度 川渡合同セミナー:種とは何か?  by 法政大学第一教養部 月井雄二

2 「変異の不連続性」と種概念

「生物学的種」概念の欠陥
 種の定義には色々あるが,もっとも普及しているのが,生物学的種の概念であろう。 しかし,この概念には有性生殖をする生物以外には適用できないという根本的な欠陥がある。 なぜ「根本的な欠陥」かというと,我々は生物界全体に適用できる種概念を期待しているのだが, 有性生殖は一部の生物にしかみられず,したがって生物学的種概念も一部の生物にしか適用できない からである。
 この問題への対応として,これまでに生態的種,進化的種など,様々な代案が考えだされてきた。 だが,いずれも理論的(概念的)には整合性があり普遍性もあるが,現実の生物に適用するのは難しい。 そのため,研究の現場では各分野ごとに従来の様々な種の(操作)概念がそのまま用いられている (分類学,古生物学等)。

「種」が普遍的である根拠

 それではいったいなぜ我々は「種」が普遍的な概念であって欲しいと願っているのだろうか? あるいはそう信じているのだろうか? 考えられる理由は,我々の周囲にいる生物のほとんどに「変異の不連続性」がみられる,という 「経験的事実」である(Evolution 1977)。 自然界に数多くいる生物の中で,我々が日常生活で遭遇するのはイヌやネコなどごく一部に限られる。 それらイヌやネコの各個体はそれぞれ同種の他個体と微妙に,あるいは大きく異なっている。 すなわち,各々は個体変異をもつわけだが,同時に,各個体は直感的に見て他のグループ(他種)に 属する個体と明瞭に区別できる。それゆえ,イヌやネコといった種が存在するとみなされ, そして,同じことは日常では遭遇することのない他の生物についてもあてはまるはずだ, と想定されているのであろう。

変異の不連続性は普遍的か?

 しかし,この「経験的事実」は本当にすべての生物に当てはまるのだろうか?もし,グループ間に 中間的変異をもった個体が豊富にいた場合,すなわち,変異が連続ている場合,そこに種は存在する のだろうか?これに関して,私は,原生生物情報サーバを構築する過程で,実際に変異が連続した 生物がいる可能性に気づいた。それは有性生殖が知られていない,無性生殖でのみ増殖している生物群 である。
 たとえば,アメーバ類(マヨレラ,サッカメーバなど)には種の間に中間的なものがいくらでも 見つかりそうなのである(図4a, b;詳しくは下記 URLを参照)。

サッカメーバの URLは
http://protist.i.hosei.ac.jp/PDB/Images/Sarcodina/Saccamoeba/index.html
マヨレラの URLは
http://protist.i.hosei.ac.jp/PDB/Images/Sarcodina/Mayorella/index.html

参考:図5 類概念の形成と崩壊

参考:図7 変異の不連続性に基づく種の認識

普遍的種概念は存在しない

 この場合,変異の不連続性以外に種を識別する手掛かりはあるだろうか?(ここでは,生物界全体に 適用される種概念を考えているので,普遍性のない生殖的隔離を根拠とする種の概念は考慮の対象と ならない)。
 生態学的種は適応ピーク(adaptive peak)ごとに区分された種を想定し,進化学的種は種を進化の 単位として考えるが,これらはいずれも変異の不連続性を前提にしている。生態学的種では,生物間 に変異の不連続性があるのが適応ピークが二分されている証拠であると考える。また,進化学的種では 変異が不連続していることが2つの種が独立して進化していることを示す証拠とみる。

図6 適応ピークと生態学的種
生物はどのようなものでも等しく生存できるわけではない。他の生物との関係などから生存に 有利なものとそうでないものとがいる。それらを適応の観点からとらえて前者はAdaptive peakに位置し, 後者はその中間Adaptive valleyにいると考える。
Dobzhansky et al., Evolution, p.167, Freeman & Company 1977

 このように,二つの種概念とも,変異の不連続性が各々の普遍性を保証する唯一の根拠であることが わかる。しかし,上記のように,変異が不連続でなく連続している生物がいるとなれば,これらの種概 念の普遍性も否定される。
 以上のように,我々が期待しているような,すべての生物に適用可能な種概念というものは,残念な がら存在しないのである。普遍的種概念がないなら,我々は生物をどう捉えればよいのか?

 すべての生物に適用できる種概念がないとなると,我々は,現実の生物をどのように捉え ればよいのだろうか?有性生殖をする生物であれば,生殖的隔離を根拠とする「生物学的種」概念を適 用すればよいかも知れない。ただし,あえてそれを「種」と呼ぶべきではないだろう。なぜなら,種概 念に普遍性を期待している人が多い状況で,普遍性がないことがはっきりしているものに「種」という 名称を付けるのは混乱を招く恐れがあり,適当ではないからだ。

 一方,変異が連続している(らしい)アメーバ類でも,実際にはいくつものグループに分けられ各々 に種名がついている。これはいったいどうしてだろう?それらは単に操作概念としての種にすぎないの かも知れないが,そこには何が何でも生物を種に分けたい,あるいは,すべての生物はかならず「属」 や「種」に分かれるはずだ,といった強い思い込みがあるようにみえる。こうなると,種が実在するか 否かという問題とは別に,生物を認識する我々自身の側にも問題があるようである。つぎにそのことに ついて考えてみたい。

 これから先の議論は生物学からは若干ずれるが,「種」をどう捉えるべきかは生物学の基本でもある ので,少し詳しくみてみたい。

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