新城市
寒狭峡
Part I: 鳳来寺道〜寒狭峡
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採集日:2014.04.19 ウオッちず で位置確認

鳳来寺道を北へ(新城市),11:52-11:53
右に何やら遊歩道らしきものがある。何だろう?

県道21号は前方で左に折れるが,このまま直進(新城市),11:54

T字路の手前で周囲をパノラマ撮影(新城市),11:54
1,2枚目:周囲には「鮎滝」の文字があちこちにある。 鮎滝の隣には「設楽原歴史資料館」の文字も。 その隣には「設楽原決戦場・馬防柵」とも書かれている。ただ,その上にある矢印がどこを示しているかわかりずらい。

T字路の右下の様子(新城市),11:54
ここにも遊歩道らしきものがある。 後でわかったが,この少し先に「鮎滝入口」があった。 そこからここを通って鮎滝へ向かうようだ。

T字路の先にある「鮎滝入口」(新城市),11:55

豊川右岸沿いを北へ(新城市),11:56
この付近(宇連川との合流点以北の豊川)は,別名,寒狭川ともいう。 よってこれから訪れる花の木公園付近の峡谷を「寒狭峡」(かんさきょう)というらしい。

前方に長篠堰堤の下流側にある岩石段丘が見えてきた(新城市),11:57

見えているのは岩石段丘の南端だ(新城市),11:57-11:58
1枚目:この先の右岸沿いに岩石段丘がある。 2,3枚目:下流側の対岸を望遠撮影。

豊川(寒狭川)右岸沿いの岩石段丘(新城市),11:59
段丘面は2ケ所あり,南側はこのように耕作地として利用されている。 かつてはここにも長瀞の岩畳のような風景があったのだろうか?
3枚目:iPad mini で現在地を確認。 地図でも南側は耕作地として示してある。 今向っている花の木公園はさらに北側だ。 花の木公園の段丘面には,あちこち池があるように描いてある。 当初はこれに期待したが,よくよく調べると,これらはすべて「釣り堀」だった。 すなわち,人工の水辺だった。 しかし,これらは元からあった岩の窪みを枠で取り囲んで釣り堀にしたらしいのだが, すべてが釣り堀になったはずはない。 おそらく釣り堀の周囲には昔からある水たまりが残っているだろうと期待して,今回はここを訪れた次第。

豊川右岸沿いの岩石段丘(新城市),12:00
1枚目:前方に長篠堰堤が見てきた。 2枚目:長篠堰堤を望遠撮影。 見えているのは堰堤そのものではなく,その右側にある導水路(ないし,取水路)だそうだ。 川に沿って縦にあるため,そこから溢れる水が滝のように見える。

左に古戦場の跡があった(新城市),12:01

ここは「馬場美濃守戦死の地」(新城市),12:01
1枚目:「橋詰殿戦場」と彫られた石柱。 2枚目:馬場美濃守戦死の地の案内。1575年の長篠・設楽原の戦いの際, ここで武田方の馬場美濃守が主君を守るために戦死したらしい。 3枚目:「馬場信房戦死の地,この上」と書かれた案内。

北側の岩石段丘が見えてきた(新城市),12:02

岩石段丘の端を望遠撮影(新城市),12:02
水面との段差はかなりある。これなら期待できるかも。

前方に建物が見えた,あそこが花の木公園だ(新城市),12:02-12:03
2枚目:iPad mini で現在地を確認。

右に崖に迫り出した駐車場が現れた(新城市),12:03
1枚目:左上にも駐車場があるようだ。

Part II: 寒狭峡 花の木公園
2014.04.19, 12:04 - 12:15

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