旧道はその先でトンネルを出た国道41号 益田街道に合流する(七宗町),09:27
前方にふたたびトンネルが現れた(七宗町),09:30
これは七宗第2トンネル(のはず)。
国道完成記念碑があった(七宗町),09:31
「建設大臣 保利 茂 書」とある。保利氏が建設大臣だった期間は1967.11.25〜1968.11.30(Wikipediaより)なので,
この国道41号 益田街道が出来たのがその頃ということになる(が・・・)。
ちなみに1968.8.18にはこの近くで飛騨川バス転落事故が起きている。
ということは,この石碑が出来たのはそれより前?だと思うのだが,,。どうなのだろう?
その先にある「天然記念物,飛水峡甌穴群,昭和36年7月6日指定」と彫られた石碑(七宗町),09:31
石碑の隣に立つ案内板(七宗町),09:31
タイトルは「天下の奇勝 飛水峡の『甌穴』」。
下段には「文部科学省・七宗町教育委員会」とあるので,それほど昔ではなさそうだ。
文部科学省ができたのは2001.1.6,なので。
七宗第2トンネルの少し手前に上流側が見通せる場所があった(七宗町),09:32
1〜3枚目:パノラマ撮影。
2枚目:この先の川岸の様子。崖際まで草が生えているものの,水たまりは無さそうだ。
あったとしても傾斜しているので近付くのは危険だ。
さきほどの七宗第1トンネルと同様,七宗第2トンネルの脇にも旧道があるはずだが,
これ以上,先に進んでも採集ポイントはなさそうに思えたので,今回はここでUターンすることにした。
帰宅してから Google mapの航空写真を確認したところ,あの草地の先には岩肌が露出した場所があるようだ。
さきほどの「甌穴群散策路」のように岩盤(岩石段丘)へ降りられるかはわからないが,多少は水たまりがあるかも知れない。
次回。航空写真を見るかぎり「甌穴群散策路」よりも岩盤上に草木が多く茂っているようだ。
1,2枚目:対岸を見ると,岩石段丘の上には何本も木が生えている。
その少し上を車道と鉄道(高山本線)が平行して通っているが,ここから見るかぎり段丘面へ降りられる場所はなさそうだ。
七宗第1トンネルが迫る(七宗町),09:35-09:36
往路と同様,トンネル脇の旧道(廃道)へ。
トンネル入口近くに建つ建物(七宗町),09:36
2枚目:「国土交通省,七宗第1,第2トンネル通信所」とある。
七宗第1トンネル脇の旧道を西へ(七宗町),09:37-09:38
今度は日当たりの良い場所で咲いていた
タニウツギ(Weigela hortensis)を撮影。
前方でふたたび国道41号 益田街道に合流する(七宗町),09:39
国道41号 益田街道を西へ(七宗町),09:39-09:40
国道41号 益田街道を西〜西南西へ(七宗町),09:41-09:43
国道41号 益田街道を西〜西南西へ(七宗町),09:44
1枚目:大きな電光掲示板があった。
2枚目:先へ進んでから振り返って撮影。
「これより白川町河岐までは,連続雨量150mm又は換算連続雨量100mmを越えると通行止になります。」とある。
かつての飛騨川バス転落事故(1968.8.18)の後に設置されたものだろう(おそらく)。
Part VII: | 〜七宗橋〜日本最古の石博物館 2012.05.13, 09:45 - 10:04 |